小学生の頃
母の日に色紙でカーネーションを作った
皆とは違う白いカーネーションを作っていた友達を見て
とても切ない思いをしたのを毎年この日が来ると思い出す
私の母は、昼間からお酒を飲んで家にいた父の代わりに外で仕事をしていた
朝は6時から夜は11時ごろまで戻って来なかったから
家事の一切は姉達がやっていて
私も高校生になると自分で弁当を作り
夜ご飯の支度もやっていた
小さい頃はたまに週末家に母がいると嬉しくて嬉しくて
まとわりついては吸っていた煙草の火が腕について
よく火傷をした(笑
そんな母もいつの間にか今年で76歳
今まで身を粉にして働き続けてきたけれど
やっとずっとそばにいてくれるようになった
これから残りの人生は
一緒にのんびり過ごしていこうね
・・・ウチの娘は「母の日だから外に食べに行こうか」と
夕飯の支度放棄権?をくれました。ナンダカナー(´ー`;)
「母の日」の花、カーネーションにまつわるエピソード
「母の日」は、 1907年にアメリカのアンナ・M・ジャービス女史が
亡き母の命日に、教会で白いカーネーションを信者たちに
配ったのが始まりといわれています。
その後、1914 年に「母を称える日」としてアメリカ全土の祝日と
なりました。
日本で 5月の第2日曜日を母の日としたのは1947年から。